、世に母も子を救い得ず、子も母を救い得ない三つの場合がある。すなわち、大火災と大水害と、大盗難のときである。しかし、この三つの場合においても、ときとしては、母と子が互いに助けあう機会がある。

ところがここに、母は子を絶対に救い得ず、子も母を絶対に救い得ない三つの場合がある。それは、老いの恐れと、病の恐れと、死の恐れの襲い来たったときのことである。
母の老いゆくのを、子はどのようにしてこれに代わることができるであろうか。この病む姿のいじらしさに泣いても、母はどうして代わって病むことができよう。子供の死、母の死、いかに母子であっても、どうしても代わりあうことはできない。いかに深く愛し合っている母子でも、こういう場合には絶対に助けあうことはできないのである。

、人間世界において悪事をなし、死んで地獄に落ちた罪人に、閻魔【えんま】王が尋ねた。「おまえは人間の世界にいたとき、三人の天使に会わなかったか。」「大王よ、わたくしはそのような方には会いません。」
「それでは、おまえは年老いて腰を曲げ、杖【つえ】にすがって、よぼよぼしている人を見なかったか。」「大王よ、そういう老人ならば、いくらでも見ました。」「おまえはその天使に会いながら、自分も老いゆくものであり、急いで善をなさなければならないと思わず、今日の報いを受けるようになった。」
「おまえは病にかかり、ひとりで寝起きもできず、見るも哀【あわ】れに、やつれはてた人を見なかったか。」「大王よ、そういう病人ならいくらでも見ました。」「おまえは病人というその天使に会いながら、自分も病【や】まなければならない者であることを思わず、あまりにもおろそかであったから、この地獄へくることになったのだ。」
「次に、おまえは、おまえの周囲で死んだ人を見なかったか。」
「大王よ、死人ならば、わたくしはいくらでも見てまいりました。」「おまえは死を警【いまし】め告げる天使に会いながら、死を思わず善をなすことを怠って、この報いを受けることになった。おまえ自身のしたことは、おまえ自身がその報いを受けなければならない。」

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